自分で農業を体験することで、大量生産がありきの農業というのは、産業としては、限界に近いんだなと感じました。あ、これはどこが悪いとか、あれが良いとか、そういう話ではないです。
大量にものが作れる技術は、とても貴重です。良いところはモノがない状態から、一定の品質の物を多く早く生産できる点にあります。有ると無いとではかなり違う。僕なりに感じている大量生産の悪いところは、物が溢れてしまう点、保存が可能な物である必要がある点、でしょうか。
もともと、人の暮らしは暮らしに時間を割くことが多かったと思います。また、現代に比べれば、産業もその暮らしに寄り添う形で存在していたので、量も少なくとてもゆっくりとしていたんじゃないかなと。
現代にも、大量生産にはむかないけど無農薬で野菜を育てる人、文化・伝統を守ってモノ作りをする人、生産者さん、加工者さん、僕の周りにも様々な方が見えます。
想いの詰まった商品(作品)は、大量生産の商品とは根本的に、意味合いが違うと思うんです。ですが「お金」の価値にくくれば、どうしたって安いものが欲しくなる。
想いを持って作る方たちにも、生活があります。悲しいかな、現代は暮らすのにもそこそこお金がかかります。
そこで、僕なりの取り組みの一つに「技術の交換」を考えました。同じような取り組みをしている人達で、自分が作った商品を、同じような想いのある商品と交換する取り組み。まずは、つむぎてが主催する「自然と暮らしの市場」にて、小さく始めました。
様々な想いのある商品が、多様に生み出される生産活動も、大量生産と同様に、僕は存在してしかるべきなのではと感じています。なんでもそうですが、多様性の無い社会は、あまり持続し無いように感じるので。
2016.06.21
Koji Kato